>>647
それむしろ話が逆だとおもう(´・ω・`)

ピアノが弾けたり楽譜が読めたりができなければ
音楽の「精神性」など説けない論じられないと考えるというひとは
日本語が読めたり書けたりできるひとならだれでも
日本語文学の「精神性」が説ける論じられると考えてるひと
そうではないよね(´・ω・`)

「精神性」は理論的技術的文法的能力とはべつのところにあるし
だからそれらの能力を持たないひとにでもわかる・・・これ芸術人文のきほんのき
だれにでもわかるというものでないのなら
それはすくなくとも「魂」やら「soul」やらとは無縁であるということであり
すくなくともおいらにとってはそれを芸術とは呼ばない

文芸評論・批評でいうならテクスト論の失敗
音楽や芸術との関わりでいうなら
ワルターなどを知るヴィトゲンシュタインに対するラッセルの無理解

以上のことはなにかといえばすぐ「精神性」を口にする
某チンポーコーなどのただしさを保証するものでないことも
きほんのき(´・ω・`)