印象や感想などというものは、受けとめる側の、その時の気分や体調にも大きく左右されるものである。

だが、「そんなの当然だろ」と、「それくらい(サービス提供側の)
そっちが斟酌しろ」という考え方は、やはり間違っているのではないか、と感じている。

なにも、こんな大勢の注目が集まっている場所で、そんな嫌な書き込みを披露しなくて良いはずである。

「こんな感想しか持てないのは、自分のせいでもあるのだが」という、
わずかな配慮のような前置きすらせず、

指揮者や奏者が自分を満足させなかったのが悪い、
と言い換えることも出来そうなレベルの小言(こごと)や、

「演奏終了後に言ったところで、もはやどうにもならないような指摘」を、
指揮者のせい、奏者のせい、というような書き方で
「公(おおやけ)に披露しなくては気がすまない」というのは
やはり、かなりの程度の「治療や制止の強制力行使の必要性」を帯びている、と感じている。

公的性質を強く帯びた巨大掲示板で、何度注意されても、ウソの書き込みや中傷をやめない。

かなりの年齢、例えば50歳を過ぎても、自分で感情を管理したり、
制止することが出来ない、というのであれば、
これは「強制的に治療を受けさせる必要がある」と判断されても、仕方がないのではないだろうか。
例えば、ブログ内の批判対象者個人名、奏者個人名がいまだに完全フルネーム、
丁寧に指摘をしても、一ヵ所として○に置き換わらない理由は、一体、何であろうか。

恐らく、フルネームの必要性は、なんらないだろうと考えている。

あなたは「ささやかな楽しみ」と書いていたが、
恐らく、それは、ささやかなものではないものまで含んでいる。
あなたは「楽しみ」になどしてはならないことを楽しみとしている可能性があり、
その程度は、かなり深刻であるということを重く受けとめて頂きたい。