バレンボイムは、パリ管の音楽監督に就任するやいなや人気の高かった小澤を
一切客演に呼ばないようにし、録音もさせなかった。
(小澤の以後のパリでの指揮はフランス国立管とオペラ座が中心となった)
さらに、DGでの小澤/BSOによるベルリオーズ・プロジェクトを自分とパリ管で
肩代わりし、小澤をDGから追い出した。(小澤はフィリップスに拾われた)
その勢いで、DGにアバドを切って自分をメインとして売り出すよう迫ったが、
これは逆に自分がDGから切られるというトホホな結果となってしまった。
シカゴ響の音楽監督に指名されると、当然のごとくアバドの客演指揮者の
称号を剥奪したが、アバドがベルリンフィルの音楽監督に選ばれると、
ピアニストとして共演したり、ベルリン国立歌劇場の客演に招いて関係を
修復した。(自分がベルリンフィルと疎遠になることを恐れたのだろう)

バレンボイムの場合、ウィルフォードやカラヤンの御機嫌伺いなどせずとも、
ユダヤ・コネクションからの強力な援助を存分に受けられたので、
CAMIに何ら遠慮することなくライバル達の排斥を堂々と行えたのだが、
それでもパリを追われた際には、CAMIを使って同僚達から擁護の声を集めた。

まあ、露骨なほど根っからの政治家と形容するに相応しいね。