>>≫597

ひとつづつ答えよう
1、全然違う、というのは、簡単に例を挙げると、ポピュラー理論では、たとえばソシレの和音はGメジャーであり、
それ以外でない。クラでは、それはGdurの1調のTであったり、Cmollの4調の+Uであったりする。前者は絶対的、後者は相対的。
前者は実用的、後者は理論的。実用だけなら、コード理論の方が適するだろう。
それだけに、理論的発展は一切ないが。

2、まずひとつ相互の了解としたいのは、
@コード理論と機能和声は異質
A両者にはそれぞれ調性がある、したがって転調もある。

Aは今までの俺の論と矛盾するように聞こえるだろうが、それは言い方だ。
というより、全ての誤解はここから発する。
俺は、あくまでコード理論は、「機能和声でいう意味での」調性はない、と主張するだけ。
コード理論にはコード理論の調性がある。そして、機能和声の調性とコード理論の調性は、異質。
それは、システムが違うから。

前スレで、音大生と思しき人が絡んできて、「機能和声からコード理論が支流のように生まれたのだから、差異は微小」という旨の
レスをしたが、俺はそれに適切にこたえられなかった。今なら言える。それらの差異が微小に見えるのは、あくまで歴史的・発生的に見ているからで、
静的・本質直観的に見れば、それらはまったく異質のシステムである、と。

なお他に、次のような反論が考えられる。機能和声もコード理論も、同じ12音平均律を基にしたものだから、同じものからスタートしたものであり、結局は一義的に解釈できる、と。
この場合、12音平均律jは、なるほど与えらえたものでって、これは両者とも同じものだ。
しかし、それは両者が根本から異なるシステムであることをなんら妨げない。
コード理論、機能和声は、それぞれ原理であり、与えられたもの、すなわち経験対象、与件、現実としての12音平均律に「基づいている」のではない。
逆だ。12音平均律が基づけられている。たとえ、理論として、歴史的には12音平均律が先行したとしても、そうである。
それは、たとえば一神教が、「倫理的な要請により神が措定された」というのに反発し、そうではなく、
歴史的にはそうでも、理論的には、神は一切のものに先立つただ一つの根拠である、と反論するのと同じ。