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なんで?

ちなみに俺の持論は、従来のクラシックと、昨今の現代音楽は、存在論的に異質なもの。
というのは、

昔の作曲家は、ピアノに向かいながら実際に音を聴いていい曲を作ろうと模索したが、
そういう意図は現代音楽作曲家にはない。

方法論を開拓することが目下の関心事であり、というのも、方法論が異なれば、それによって実現される
音響は、必然的に異なるからである。

ここで、音楽制作が、ひとつメタを上がったことになる。クラの作曲家では、楽譜を研究することに意味はあるが、
すぐれて現代的な作曲家にはその意義はあまりない(ないとは言わないが)。

というのも、楽譜とは、クラにおいては一番上のメタだったのに対し、現代では、
楽譜とは方法論の出力の結果でしかなく、したがってせいぜい2番目のメタレベルだから。
メタとその下ものものとは、一切類似がない、というドゥルーズに従うなら、そこで
メタレベルの構想からは、実際の楽譜や音響が予測できない、ということが帰結する。

現代音楽は、新しい音響の可能性を模索する特殊化学である。それが、誰の役に立つのか?という疑問は、まったく学問的でない。
形而上学や理論物理が何の役に立つのか?ときくのと同じ愚かしさであり、それ以上に、優れて純粋な学問とは真理の追究以上の余計な目的を持たないからだ。

商業性、娯楽性など、副次的なものにすぎない。