【猫に小判】許光俊の耳に本場のクラシック【豚に真珠】
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0866名無しの笛の踊り
2014/11/25(火) 05:11:10.88ID:T/+8IUGd長岡半太郎が東洋人には科学という学問が可能かどうかと悩んで数年考えたことを思い出した。
西洋もイスラムの高度な科学技術に基づいた兵器に中世は悩んだらしく、魔法使いの衣装はイスラムのそれで
当時の西洋人には魔法のように思えたかららしい。
音楽だったら、と思ったが、ある思想家が外人の日本文化理解は思わぬところから光が照てられて啓蒙されることがあうrが
同時に陰翳というか襞には届かないとも語っていた。
先年ある外人の万葉集解説をテレビで見ながら、ふとそんなことを思い出した。
ただ許のようにそれを言ったら、西洋人も地殻変動みたい感覚というか価値変動もあるし、現代の西洋人も理解しているかというと怪しい気がする。
ある物理学者の方が、ヘーゲルの著作はカントがニュートン力学に衝撃を受けての認識論展開の精華ともいうべきだが、けっきょくキリスト教との妥協であのような晦渋な表現になっていることを指摘していた。
ある時代の表現は、やはりその時代の海というか価値観とか前提があるわけで、それを解しながらというのは音楽も変わらない気がする。
そしてその意味では現代の西洋人も過去のクラシック理解はアドヴァンテイジはあるだろうが、とは思うが。
いずれにしても、楽譜理解に様々なアプローチがあるのだろうが、俺には本物を西洋人が体験しているとも、東洋人が偽物のクラシックしか体験できないと断定出来るだけの識見がないからわからない。
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