試金石はやっぱケージだろうな。
どうしても作曲者の手つき、意図を探って音を待ち構えて聴いてしまうから
ウェーベルンのような緻密で構築的な作品すら、逆に聴き損ねてしまう。

いわゆるクラシックのファンの場合、時間の観念が和声の観念に置き換えられ
てしまってるため、和声がないと、とたんに音楽における時間を理解できなく
なる。

まあ現代音楽への拒否感は、長調や短調で心地よくなりたいのに、肝心のそれ
がない。幼児がおむつをかえるのにむずかるときがあるが、それと類比的だろう。
明治元年からだいぶたつはずだがw