>>144
例えば、武満は、「ブラームス は(ほんとうには)日本人には理解出来ない」というような考え方に対し、
「人間が生み出すものは、地域社会の、そして時代の特殊性を離れて存在するものではない」とした上で、
しかし、「時代の、また、地域社会の特殊性が生んだ文化において、真に普遍性を勝ちえているものには
それ自体の裡に特殊性を超える何ものかが秘められている」と述べ、それは「凡ゆる解釈に耐えるもの」であると述べています。
そして、そういったことを武満は「古典性」と言い表しています。

これは、いわゆる音楽史的な古典主義の音楽ということではなく、
例えば、バッハやビートルズやマイルス・デイヴィスなどにも見ることのできる
彼らの音楽のそれぞれの確固たる様式と彼らが生きたその時々の時代の素晴らしい拮抗によって具体化されていると思います。
また、伊福部昭は「真にグローバルたらんとすれば真にローカルであることだ」と述べています。

武満と伊福部の音楽は全く違うけれど、このことについては言っていることは同じであると思います。
私は、真に普遍性を持とうとしたとき、演奏者は、自分が扱う楽器が持つ個性を失ってはいけないのではないかと考えています。


人気がずば抜けていて総合的せいぜい現在の若手レベルということは、
今のギター界の様相はそれだけジョンの影響力が強いということを表しているのでしょう。

バリオスをギターレパートリーに完全に定着させたのは>>153の指摘通りで、
ギターの世界を拡げるということにおいてはジョンは師と同じ意志を持ち、
師が嫌った音楽や楽器を積極的に取り上げるということにおいて師と違う個性を表している。