贋作の罪って、別にクラシック音楽では贋作に罪なんかないだろ
最近、佐村河内が問題になったが、あれでも特に刑法上の罪は問われなかった
(著作権がどこに帰属するかという問題はあったようだが)
現代日本ですら法律上の罪はないという事だし、まして当時の法律では問題にはならないだろう

じゃ道徳上の問題があるかと言えば佐村河内ですら、まともなクラシックファンは何の非難もしない
音楽は音楽自体に価値があるのであって、作曲者の名前だとか耳が聞こえないとかで価値を言ったら
その方が恥ずかしいし、むしろ優れた音楽家ではある新垣の作品を聴くきっかけになったのだから感謝
するべき、というくらいの考え方がクラシックファンの考え方だろう
一般の声で言っても、佐村河内はかなりは非難されたが、新垣を非難する意見はほとんどなく、むしろ
同情の声が多かった。セゴビア、ポンセは新垣の立場だし、多少の金銭的な利益もあった新垣に
比べてもセゴビア、ポンセは損をしただけ。一般の意見を基準にしても何の非難もされないという事だろう

それに罪だというなら、クライスラーも罪だという事になるし、一般にもよく知られている「アルビノーニの
アダージョ」のジャゾット、「カッチーニのアヴェ・マリア」のヴァヴィロフの方がよほど罪が重いという事に
なるだろう
(どちらも両者の完全な作曲だという事がほぼ確定している)

ジャゾットもヴァヴィロフも世界的な有名曲を作曲したのに、自分の作曲だという事は黙っていて
アルビノーニ、カッチーニばかり有名になって、すごく奥ゆかしい人達だと思うが、セゴビアを贋作した
と言って批判する人間は、この二人こそ絶対に許せないだろうから、まずこの二人を叩けよ