【大編成】オーマンディ12【上等】
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0264名無しの笛の踊り
2014/09/15(月) 12:08:28.19ID:P1IlAz6Iバロック以前の楽譜は書いていないことだらけで、常識がないと演奏出来ない。
主観的に演奏することを嫌ったのはトスカニーニだが、楽譜に書かれた音を再現するにあたり、その背後にあった常識をすべて隠してしまった。その辺の常識を鑑みた上で、本来演奏家が解釈すべき作品の意味を、演奏家は全く考えずに、ただ音にすることで、聴衆に委ねたのだ。
もちろん、ドイツロマン派自体がどうなのかとも思う。
音楽先進国であったイタリアやフランスの音楽は娯楽性が高く、音楽の中に世界の救済など求めていなかった。
彼らからしてみれば、世界の救済など何ぞやといったところだろう。
精神性とか、深いという、演奏を賛美する言葉は、ドイツが音楽後進国だったからこそ、生まれてきた意味付でもあると思う。
コンサートの規模の拡大も関係があるだろう。貴族ではないほとんどの一般聴衆はそういう常識は分からないから、心を動かすより、感嘆させる方が簡単だ。
そういう相手を納得させるには、演奏で納得させるより、サウンドで圧倒したほうが良い。これはベートーヴェンの弟子ツェルニーが著書で述べているから、その頃からすでにある考えで、その後のビルトーゾピアニストや演奏家につなかっていく。
フルトヴェングラーの演奏が、表面的で煽っているだけとか、演奏から何も感じないのは、楽譜がわからない(当時の演奏の常識もない)一般人なら止むを得ないし、もはやそういう演奏が成り立たないのも理解できる。ただ、当時の一流の演奏家は彼を賛美していたことは事実だ。
カラヤンは超一流の音楽家ではあるが、芸術家ではないというのはその辺りに起因する。聴衆向けのわかりやすい音楽を彼は目指した。
人間性がどうだとか、苦悩がどうだとかどうでも良いのだ。彼の演奏はラッパはラッパ、それ以上でもそれ以下でもない。音に意味はない。目指しているところが違うと思う。
長文申し訳ない。
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