ウィーンフィルを振った話は
岩城さんの持ちネタのひとつで、何度も読まされてるので
覚えちゃったんだけど、ベルリンフィルには何度も呼ばれてるのに
ウィーンだけはお声がかからず御不満だったらしい。

岩城はウィーンフィルの楽団員とはかねてより親しくしてて
来日公演では自宅でパーティを開いて接待したりしていたので、
なおさら不満だったらしい。

で、ご指摘の通り、ハイティンクのドタキャンで声がかかる。
で、そのお礼として翌年にもう1度呼ばれる。
それが1977年、1978年。で、それっきり。
そのうちベルリンからも声がかからなくなる。

欧州でのキャリアが奇妙に失速した岩城には、小澤に対する
複雑な思いがあったであろうことは容易に察せられる。

もっとも、その岩城のキャリアに届く日本人すら、いまだに出ていない。
佐渡ですら今後、ウィーン定期に呼ばれることがあるかどうか。