また、仏が世の災いを除き得る、「救済」がリアルとして実感できることは政治的重要課題でもありました。
視覚的に「救済」を実感できなければなりませんでした。それは現代の人々が感じる芸術的感興などよりずっと切迫感を持ったものだったのです。
富、才能、技術、政治のすべてがここを目指していました。
しかし時代が下るにつれ、仏教彫刻芸術は芸術の先端ではなくなりました。
ではクラシック音楽(つまりは現代音楽ですが)は現在、時代の先端足り得ているのでしょうか。
先端ではあるが大衆との乖離が進み、経済的恩恵に与ることが出来なくなっただけなのでしょうか。
そこが問題であるわけです。