共産主義によって奇しくも生き残った作曲家を除き、
R.シュトラウスとシェーンベルクの死後60年超、大衆的人気、名声と経済的成功を収めた作曲家が出なくなった。
そうした状況下において突然変異的ブレイクを果たした「佐村河内守」を本当は評価すべきなのではなかろうか。
大衆的人気と経済的成功のない芸術にどれほどの意味があろうか。
時代の先端にこそ、富と才能は集まるのだ。
初演前から「佐村河内守」に目をつけ、その売り出しに少なからず貢献したと思われる許光俊氏の功績を、
我らは正当に評価せねばならない。
「佐村河内守」が「誰」であるかなど、二次的な問題に過ぎない。
懐疑とマニエリスムを称賛する許氏が「佐村河内守」を発見したことは、
誠に逆説的と言わねばならないが。