新垣氏の調性音楽を馬鹿にしてる現代音楽(や前衛音楽)をやってるやつって、
「自分」以前に存在する語法や書法や形式などを用いることに嫌悪感を感じて軽蔑して
過去にない新しい技術を用いた作品でなければ認めないって感じがするけど、
それなら過去のすべての作曲家が他の作曲家と比べてそれぞれどこが新しく斬新なのか指摘できるんだろうか
それとも彼らにとっては新垣氏と同様こんなやつらの音楽は認めない、っていう作曲家ばっかりなんだろうか