多くの善男善女が騙された。私にしても、つまるところ、彼が世に出るためにいいように利用されたのだろう。それも十年以上にわたってである。
しかし、そのことについては不思議と腹が立たない。というのも、自分はすべきことをしただけだという確信があるからだ。
たとえ大傑作でなくても、それなりに魅力がある音楽は認めるのが評論家である。才能のありそうな人物が世に出るのを助けるのが評論家である。もうわかっていることをわかっているように書くのが評論家の仕事ではない。
事実が露見したあとで、いろいろな人がいろいろなことを言っているが、今になってしたり顔をするのは、私には醜いことと思われる。
それにしても、新垣隆という人は、たいへんな十字架を背負ったものだ。あまりにも意気消沈した記者会見をテレビで見て、私は本当に胸が痛んだ。運命の歯車は情け容赦がないと思った。
そして、人づてに、特に弦楽四重奏曲第2番として発表されている曲は、とてもきれいな曲だとメッセージを託した。突然の騒動が起きた日、この悲哀に満たされた音楽を私は家で何度も聴いた。