「旋法論」によればキルンベルガーは
670、671、678、680、682、684、686、689が
すべて旋法によるものと捉えていたらしい。
旋法が本来単旋律聖歌を分類するものだったことを考えると
キルンベルガーの解釈はありえないんだけど、
時代によって捉え方や扱いが変わっていったのも間違いないわけで、
旋法であるなしの線引きはすごく難しいと思うんだよね。