【和声法】クラシックの書法14【対位法】
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0871860
2015/03/03(火) 06:52:08.91ID:6zIeUgcRそこには'半音の動き'を特別視してしまった誤った音楽の見方をしてきた過去があるように感じる
自分の考えはこう。
例えば自然短音階の音階7番目を半音上げて「導音化」することがあるが、この表現にも違和感アリ
暗黙に、導音をもつ音階or導音をもたない音階という誤った差別化をしてしまい当たり前のことになっている
あえて「導音」という言葉を再定義するなら、"音階7番目の音から主音へ向かい終止する動き"としたい
同様に、「下行導音」を再定義するなら、"音階2番目の音から主音へ向かい終止する動き"としたい
もしくはその音階が終止する動きを全て導音といいたい 元の音階から外れるムジカフィクタの考えはまた別です
何が言いたいかというと、この動きが半音だろうが全音だろうが(半音+全音)etcだろうが、それがその音階の「真の導音の動き」とよびたいのです
一応7音音階の話。
更に大きな歴史的間違いは、度数の表現法にも及ぶと思っています
例えば和声的短音階等の「増2度」の動きを嫌ってきた歴史がありますが、もしこの音階に故郷がある民族がいたらどう思うだろう
彼らにとっては心地よい順次進行の2度の動きを、余所者の音階からのモノサシでもって「増」だといって嫌うわけですよね
それどころか臨時記号をつけて旋律的先進国が侵略(大げさですが)までしてしまいます
5音音階民族の順次進行を余所者のモノサシで跳躍と見るのもダメでしょうし、
民族音階や5音音階・8音以上の音階等にも真の導音とよべる音の動きはあってしかるべきだと思うわけです
ミクソリディアン等の弱い終止感こそが黒人音楽の良さであり終わらない音楽の理由だったりしますよね?
導音なんて言葉がなくても良いとも思いますが、とりあえず日本における音楽教育や音楽用語の意味合いが西洋万歳すぎやしませんか?
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