高度成長期に、とにかく華やかなカラヤンを聴いてクラシックに親しんだ年代が、
バブル崩壊から失われた20年に引き継いだアバド、ラトルの、
ある種堅実な、志向生の強い音楽性を否定することで、
現実逃避をしているという側面もあるのでは?