>>694
当時のクラギの状況ということだよ。

アントニオ古賀も木村好夫もいた。
クロード・チアリもその頃かも知れないし、演歌のクラギも一般的だった。
定型的な曲を職人的な技術で弾いているクラギの現状、という中にはそうした人たちも含まれるかも知れない。

クラギで大衆音楽なんて珍しくもなんともないし、武満の好みは知らないが、作曲家としての方向性とは真逆だ。

セゴビアが必死になってクラギの大衆音楽性を打ち消そうとしてきたのに、定型的な技術で、気の緩んだ演奏をしていると、大衆音楽に入り込みやすい。
ジョンは、その一例だろう。

現代音楽の旗手から見て、クラギに対する不満が大衆音楽の欠如にあるわけがない。
不満は、先端的な現代とのかかわりの薄さにあった。

その先端に大衆音楽があることはない。
音楽の先端は、常にクラシックというジャンルの中にあり続けている。

柔軟な精神というものがあるとすれば、他の芸術分野と同様に、時代とかかわることが可能な精神という意味だ。
大衆性との迎合では、時代に巻き込まれるだけで、時代とかかわることなどできない。