フルヴェンはそもそもミサ・ソレムニスに関心がなかったし、
第九やブル8を個人的な「精神的」な感情の表出としてしまった
せいぜいが「ドイツ民族」、あるいは「人類」というちっぽけなもののための精神性だ
フルヴェンの第九は地上における最高の精神性の発露かもしれないが、
ベートーヴェンの意図はそんなところにはなかったし、
ミサ・ソレムニスに価値を見出せなかったフルヴェンには思いもよらぬことだっただろう