カラヤンBPO1962

1976-77もそうだけどたまに聞いてそのたびに
なんで俺いま音楽を聞いてるんだろう
なんで俺いま第9を、ベトを聞いてるんだろうって自問する盤

BPOとてつもなくうまいんだけど
そうじゃないんだよなあ、それじゃないんだよなあって
普門館聞いてもジルベスター聞いてもベースの部分でそう思う

ベト9がまったく偉大なのは(ハンクラや大フーガもそう)
美が素直に信じられていた19世紀から20世紀前半という時代を超える力、
破ってくる力を作品自体が持ってるからだと2014年に生きる俺は思う

けどカラヤンは素直な美を疑わない人
それがとんでもなく生きた演奏もあれば(チャイ、リヒャルトS、オペラ、新ウィーン)
ほとんどまったく理解できていないというのがあって(タコ)
でベト9の特に第1楽章などはタコ的な不条理に触れてる感もあるから
だから届いてこないのかなあと思ったりする

ところでフルベンもまた違った形で素直な人だったろうと思う
俺は丸山眞男の音楽観にはあまり同意できないんだけど
フルベンの政治的無知に触れた点は基本的に首肯する
ドイツ的教養主義を良かれ悪しかれ体現したひとりで
だからこそ日本への影響力は戦後に至るも大だった

・・・この思いを突き詰めれば当然現代にとってクラとは?音楽とは?となる
郵便配達も豆腐や納豆売りも炭鉱にもそれぞれ固有の歌があったが
ウェブやスーパーマーケットに歌の固有性はなく
原発に至っては歌そのものが否定される

とスレチなチラ裏になったところで行数制限、ばいなら(´・ω・`)ノ