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音楽:ジンマン指揮 N響=評・大木正純
毎日新聞 2013年01月21日 東京夕刊
 ◇知的かつ明快なマーラー
 曲目は交響曲第7番、通称「夜の歌」。およそ80分の曲1曲のみという、潔いプログラムである(11日、NHKホール)。
 作曲家の予言通りに「マーラーの時代」がやってきたこんにちにおいても、第7番はなお難物だ。
何しろ聴衆は、幻想、憧憬(しょうけい)、暗黒の夜を延々とさまよい歩いたあげくの果てに、終曲では一転して白日のもと、カーニヴァルの喧噪(けんそう)の中に投げ出されるのである。
この異形の音楽は、ベートーヴェン流の「苦悩を通して歓喜へ」なるシェーマ(図式)にはしょせん収まりきれない。
 だがジンマンの指揮はどこまでも知的かつ明快。いかにも作品を手の内にし尽くした、一見余裕綽々(しゃくしゃく)のリードながら、オーケストラの統率には寸分の緩みもない。
スケルツォ楽章の「影のように」という指示のフォローも絶妙なら、その前後に置かれた二つの「夜曲」は叙情に流れず、むしろドライに処理して、
全体としておどろおどろしいロマンよりも、スコアに潜むニヒルな現代性を、少しの誇張もなくあぶり出してみせるのである。
 一方で第2楽章では、行進曲調のトリオを心地よく響かせてひととき聴衆の耳を癒やし、第4楽章の意表を突く室内楽的な妙味を【精度の高いアンサンブル】で際立たせるあたり、音楽的なセンスが随所に光る。
さらに巨大なコラージュの怪物のごときフィナーレも、【管セクションをはじめオーケストラの好演】とも相まって、およそ隙(すき)のない仕上がりをみせたのが見事だった。
このコンビでマーラーをもっとたくさん聴いてみたいと、多くの聴衆が思ったのではないだろうか。(音楽評論家・大木正純)