まず最初に国家が存在してはじめて、個人が存在しうるというわけではないだろう。
安倍をはじめとする「似非保守」「自称保守」はそのような間違った国家観を持っている。
あのような者たちを私は保守と認めることは出来ない。
江藤淳が漱石を読み、漱石の近代人としての苦悩を考えたその果てに、
「天」、天下国家に辿り着いたのとはわけが違う。
無数の先人たちの努力と業績の上に現在の国家は成り立っている。
私は思い浮かべる。無数の顔、顔、顔・・・を。
それは時に際立った個性=時代を表わす天才として、時に名もなき匿名性として我々の前に顕現するが、
日本においてならば天皇という非類なき無記名者としてその本質を表わす。
天皇の無私性、利他性はその匿名性から生まれるのである。
無私と利他こそ、保守が持つ最大の特性と言っていいのではなかろうか、と私は思う。
このスレの上の方でも指摘されているように、保守的教養は確かに不条理に対して無力な点もあろうが、
それでも似非保守の国権主義とは一線を画すことを指摘しておきたい。