たしかに保守は定義が難しい。バークの思想だけで、それ以後の保守思想の展開を語りつくせるものではない。
そうであるならば保守思想はもう少し単純に、「エスタブリッシュメントの感情」と割り切って評するにふさわしい。

ゲーテの古典主義完成期の作品とバークの保守主義思想の「類似性」「親縁性」は認められるが、
同じものとして語られるのはどうだろう。
実質ロマン主義の疾風怒濤期にはじまり、古典主義完成期を経て、晩年もう一度大きく展開したゲーテを、
保守の文脈だけで語ることは出来ない。「親和力」にしろ「ファウスト第二部」にしろ、
保守の文脈で語られる領域を遥かに逸脱している。

それはさておき、ここに面白い素材がある。
ここはクラ板なのだから(なんだかすっかりそのこと最近忘れていた。笑)、
ブラームスについてでも語りましょうよ。

中野雄氏は「新版クラシクCDの名盤」の中で
「ブラームスは曲を創るに当たって、ベートーヴェンの死(1827年)をもって
終焉の時期を迎えた古典派的手法を逸脱することがなかった。
ベートーヴェンは沸騰するような自らの想念を実現するために、
ときに形式を破壊するような試みすらなしたが、ブラームスは終生、
ハイドン的な手法の中で自分を語り続けた人である。彼の関心は内面の
充実と深化であり、『新しい音楽』の創造ではなかった。」

それに対し満津岡信育氏は、「新編名曲名盤300」の交響曲第4番の項で
「ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽盤には、シェーンベルクが
“進歩主義者ブラームス”と評した言葉が実感できる明晰な演奏が刻み込まれている」
と記している。

ブラームスとは一体何者なのか。