最近の都響とのマーラーでも思うのだがインバルは決してアクロバチックで派手なマーラーは志向していないということだ。
むしろ、繊細、抒情的、透明といった方が良くこれはフランクフルトとの録音にも当てはまる。
ブーレーズの演奏も透明性があるが彼の場合は第三者的な冷静さを感じるのに対しインバルはもっと人間的なあたたかみを感じさせる。
このインバルの志向が当時は新鮮なアプローチと思われ話題になったのだとも言えるであろう。
つまりとかく長いマーラーがインバルのサラリとしたアプローチによって聴きやすいものになった、ということだ。
しかしこのスレを見ていると残念ながら都響の会員諸君はそういった基本的なことが理解できていないのである。
インバルもさぞ無念であろう。