カラヤンの「大衆化路線」についてだけど、
日本とヨーロッパではその意味合いは異なるんじゃないかな?

ヨーロッパってのは2度の世界大戦を通じて大衆社会化が進んだとはいえ、いまだ階級社会の要素が存在する
ロラン・バルトの「エクリチュールの零度」とか読むと、その根深さを思い知ることになる
クラシックを「聴いてはいけない」階級、サッカー観戦をして、ラップの様な音楽を「聴くことを強制させられている」層ってが存在するんだね
その意味で、クラシックを大衆のもとに届けることの意味を考える必要があると思う