>>142
協奏曲の場合、少なくとも晩年に近づくに従い解釈はカラヤン主導に傾いたのではないかな。
ムター、キーシンが「テンポをはじめとする解釈の絶対的主導権はカラヤンにあり、意見できるような立場ではなかった。」
と証言している。ポゴレリチとはチャイコのPコンの解釈を巡ってリハで衝突して共演が流れた。
 
 ワイセンベルクがどういう立場だったのかはわからないけど、カラヤンと共演が成立したソリストは、解釈がたまたまカラヤンと
近かったか、多少違ってもカラヤン側に歩みよれる人に限られたんではないだろうか。

 ベトのP協全集にしても、DGとしてはケンプとカラヤンでやりたかったのではないかと思うのだが、オケはBPOでも指揮はライトナーを使った。
ケンプとカラヤンは実演では1957年にザルツブルクで共演しているがこの時の相性が芳しくなかったのだろうか。

 カラヤンもその後エッシェンバッハと全集録音を開始するも、第1番のみで終わってしまった。
両者はその後も共演があったり、指揮者としてのアドバイスを送るなどの関係が続いているから衝突ではなかったと思うのだが、頓挫の理由はわからずじまい。