これまでラトルについてはさんざん辛口なことを書いてきた私ですら、たまたま冬に交響曲第3番を聴いて驚愕した。
完璧にたたきのめされた。初めてラトルがわかったと思ったし、心底すごいことをやっているとうならされた。
 実はラトルはマーラーにも負けぬ分裂気質だったのだ。それが器用貧乏のように見えてしまう原因だったのだ。
しかし、どこまでも棒にくらいついてくる、空恐ろしいほどに達者なオーケストラを得て、
今ラトルはここまでやるかというほどに激烈かつ精密な地点まで踏み込む。涙の奈落から天上の幸福まで、
単純なのに表現力がある旋律からきわめてテクニカルな音の織物まで、超弱音いや超超超弱音から宇宙が吹き飛ぶような超強音まで、
そのコントラストの激しさはテンシュテットを思い出させるほどだ。マーラーの音楽の不思議さとは、
とても同居できないようなものがぶちこまれ、平然と混ぜ合わせられている点にある。
それを現在ラトルとベルリン・フィルほど鮮明に示してくれる演奏家はいない。
 アバド時代と違って、奏者は誰も暴走しない。なのに、細部の生きている様子は気味が悪いほどだ。
しかも、カラヤン以来外面的にはきれいでも精神的な表現という点ではきわめてお寒い限りだったこの楽団が、
まるでウィーン・フィルかというほど情緒豊かになる瞬間もあるのだ。
わかりやすく言おう。ズバリ、2011年現在、オーケストラ演奏、オーケストラ芸術の最高峰は、
ラトル指揮ベルリン・フィルのマーラーか、サロネン指揮の「火の鳥」「春の祭典」だ。


 許光俊の言いたい放題 第192回より