1936年、東京帝国大学(現・東大)文学部フランス文学科卒業、内務省情報局に勤務。
戦時中は情報局が主務官庁である日本音楽文化協会(楽壇統制のための団体)に井口基成の勧めで出向。
戦後は文部省の所属に移されたが、敗戦後の混乱期に「自分の本当にやりたいことをやって死にたい」
という思いが募って勤めを辞し、ある女性雑誌の別冊付録『世界の名曲』に寄稿したことが契機となって音楽評論の道に入る。

あの次期に上級の公務員を蹴って「自分探しの旅」を思い立ち実行可能なんて余程の裕福なお坊ちゃんだよな〜
小林多喜二の生涯と比べると雲泥の差w多喜二の作品は半世紀後にも世界中で読まれ輝いているが、吉田の駄文の半世紀後なんてw
吉駄文の印刷された紙よりキャラメルの包み紙のほうが余程価値あるわwww