>>448
自分で他のスレに書いたもののコピペだったのだが、まあいいやw

>>452
復活はいいと思うんですよ。あれはお祭り音楽だから
問題は第6番「悲劇的」の最終楽章です
バーンスタインの音楽は熱を帯び、作品への没入度もすごい
でも演奏することの喜び(=苦悩)、聴衆との一体化が自己目的化し、自己完結してしまっているように感じられ、
音楽との距離がゼロになってしまっている
まさに>>449のルートヴィヒの言葉の通りですな
私は、人は音楽そのものになってはいけないと思うのですよ
いや、いいのかもしれないけど、私にとってはよくない
反省的な意識、ロマーンティッシェ・イロニーがなくなってしまうと、私にはどうも面白くない
カラヤンが反省的な意識を持っていたかは知らないけど(おそらく持っていなかっただろう。しかしアドルノのいう戦後が、カラヤンの音楽に「歴史的」に付与した可能性はある)、
結果的にカラヤンの音楽はイロニーに満ちてますね
自己を「罠」として再生産したような
彼は完成した美、絶対美を目指した人だったけど、その音楽は絶対美との幸福な永遠の結合を図れるようなものじゃなかった
ドラマに没入できない。一体化できない
オペラはただ音響としてのみ鳴っていることも多いわけです(特にプッチーニ)
でも私はそうしたカラヤンの皮相な美に惹かれてしまうんですね

ファウスト的精神(ドイツ的精神性)とハイデガー的な「本来性」の回復は突き詰めればナチズムにつながると思うんですけど
戦後において絶対美を求めたカラヤンという男の悲劇、歴史性、美的・思想的意味に、私はより関心があります
トーマス・マンが指揮者だったら、どんな演奏をしたか・・・、そんなことを考えても仕方ないですけどね