音楽家の地位的には、ベートーヴェンがハイドンに師事したころは雲の上の人ぐらいの差があった。
でも、一生100曲かけて作った交響曲の地位を、ベートーヴェンはたった10年、5曲で超えてしまった。
あと、ベートーヴェンも相手にされてないことを、根に持っていたようで、
ハイドンの対位法の添削を他の先生に添削させて、ハイドンの添削の間違いを知って信用をしなくなった。
極め付きは、ベートーヴェンの最初の6曲の弦楽四重奏の献呈相手と、ハイドンの81番、82番の献呈相手が同じ。
しかもその時期というか、時差に近いくらいの徹底ぶり。
サリエリもフィデリオを書き直せと言ったために、絶交になってしまった。
ハイドンも同じことをベートーヴェンにしている。だから、ベートーヴェンはムキになっている。
ハイドン側も、ベートーヴェンが師事したころはちょうど2回目のロンドン行きで大忙しのころ。
手抜きとは言わないけど、忙しい時に、ベートーヴェンみたいな変人を弟子にしたのが、
まず、間違いだったのかもしれん。
一番の自信作のハ短調のP三重奏にケチをつけたのは、フカクだったな。