>>435
どこまで本当か分からないけど、フランスやイタリア、ドイツの音楽家では、
本能的に理解できないのではないかという説があるよね、シベリウスの音楽は。

楽譜表記法は西洋のそれを採り入れたが、そこで表される音楽は独墺系のそれとも
ラテン系のそれとも異なった地平からシベリウスの音楽は始まっているといわれるらしい。

だから御国ものとしてフィンランド人がシベリウスを得意とするのは当然にしても、
イングランド人が得意とするというのは、セシル・グレイの存在と、大ブリテン島の置かれた
地理的条件のせいだという説があるね。

清教徒革命からこっち、20世紀を迎えるまでクラシック音楽の不毛且つ偏狭の地であったブリテン島では、
良くも悪くも大陸で爛熟した西洋音楽は受容することはあっても生み出されることはなかった。
清教徒たちのテーゼとして、娯楽のための音楽を作ったり演奏したりするということは、
プロテスタンティズムの視点から見ると『仕事』ではないという偏見があったみたいで、
西洋音楽についての創作や理解は、当時ド偏狭であったロシアやフィンランド、ボヘミア以下だった。
シベリウスの音楽に対する理解にとっては、しかしそのニュートラルさが幸いしたみたいで、
独墺系やラテン系の演奏家や作曲家が本能的に有している西洋音楽の歴史というものに捉われず、
純粋に楽譜に臨むことが出来たのではないかな。