宇野功芳氏の「高級さ」は何もクラシック音楽から来ているのではない。ここを誤解してはならない。
「高級」なものとされがちなクラシック音楽を扱っても「低級」なものもあるからである。
要は、新鮮で活き活きとした批評精神の持続が「高級」な人格を形成するのである。
それを失ったとき、文化は低級になる。今日の日本社会には、全人的教養に基づく精神の「高級さ」の修得が必要であろう。