しかし、当時すでに佐村河内守はクラシック音楽界の久しぶりの期待の星で、
何よりも障害者だったので、「批判してはいけない」という空気になっていた。
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/2014021000013.html?iref=com_rnavi

たいていの場合カバーストーリーは(その名の通り)外側の問題で、中身=コンテンツに比べれば「本質的ではない」。
だがこのケースで問題にしたいのは、まさにその中身と外側(本末)が転倒する可能性についてだ。
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2014021200001.html

不必要に叩く事はないが、中身の本質を語れる時代にやっとなったって事だね