レッジェーロはレッジェーロの狭いレパートリーの中でしか生きられないのです。

ベルカントは素晴らしい見本のような発声です。

ですから重い声の人でも発声に使います。
(もちろん完璧ではありませんが)

しかし、ベルカントでヴェルディの高音を出しても、何の意味もありません。
輝きのあるイタリア的な音質が求められるからです。

例えとしては不十分ですが、ウィリアム・マッテウッツィ(ファルセットに近い)がヴェルディの高音をだすようなものです。
アリア集では高音を出しているように聞こえません。
物足りないのです。
ロッシーニでさえ、細かい音符がはっきりせず物足りないと感じるときすらあります。(ちょっと脱線しました)