NAXOS日本作曲家選輯 弐拾参枚目に対峙する時来たる
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0082名無しの笛の踊り
2011/11/03(木) 11:11:50.28ID:Z/L1Qciw幻の交響曲 調べ再び 憲法施行記念 1947年演奏
2011年11月3日 07時10分
日本国憲法が施行された一九四七(昭和二十二)年五月三日、
東京・帝国劇場で開かれた記念祝賀会で演奏されて以来、
歴史に埋もれていた幻の交響曲が今年初めて録音され、今月発売されることになった。
東京音楽学校(現東京芸術大)教授だった作曲家・橋本国彦(一九〇四〜四九年)の「交響曲第二番」。
四六年十一月三日の憲法公布から六十五年を経て、母校オーケストラの演奏で現代によみがえる。
(加古陽治)
二月の下旬、東京・上野の東京芸大奏楽堂(コンサートホール)に、厚手の上着にくるまった男女が集まってきた。
芸大卒業生のプロの演奏家らでつくる芸大フィルハーモニアの面々。
英国など内外で活躍する同大の准教授湯浅卓雄さん(62)の指揮で、演奏が始まった。
所々音を確認しながら、初録音に向けた作業が進んだ。
橋本を研究している東京芸大研究助手の三枝まりさん(33)によると、
「祝典交響曲」の別名もある交響曲第二番は、後に首相となる芦田均が会長を務めていた
憲法普及会が、当時の東京音楽学校長らに曲作りを委嘱。橋本が選ばれて作曲した。
手書きの楽譜に「1947年3月4日起稿、同年3月26日脱稿」とあり、この間に創作したとみられる。
初演は、同年五月三日。皇族や政府首脳らが出席した記念祝賀会で、
橋本は自らタクトを振り、東宝交響楽団(現東京交響楽団)を指揮した。
明るい曲調で「平和への願いを込めて作ったことが、プログラムに書いてあります」(三枝さん)。
依頼されるままに戦時色の強い曲を作り、戦後、自ら教職を退いた橋本にとって、久々の晴れ舞台だった。
演奏から二年後、がんを患った橋本は、神奈川県鎌倉市の自宅で他界する。四十四歳の若さだった。
戦争協力者のレッテルを貼られたこともあり、橋本の曲は「アカシヤの花」や
「お菓子と娘」といった歌曲を除き、やがて忘れ去られた。
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