1905年、クレンペラーがまだかけだしだった頃、『復活』の初演指揮者でもある
オスカー・フリートの演奏会の際、舞台裏アンサンブルの指揮をまかされた。

リハーサルに現われたマーラー本人に、クレンペラーは自分が受け持った部分に
満足しているか尋ねにいったところ、「まったく最低だ。あまりにうるさすぎる!」
との答え。「しかし楽譜には“非常に高らかに”とある」とのクレンペラーの反論に対し、
マーラーは「その通りだ。しかし、遠くかなたからだ!」

クレンペラーはこの言葉を心に刻み、実際の演奏会では非常に柔らかく聴こえるよう
に努力した。演奏会後、楽屋にやってきたマーラーは、クレンペラーを見つけて手を握り
「素晴らしかった」と褒め称えた。クレンペラーいわく「それがどんなに嬉しかったか!」

それを機にマーラーとの親交が始まったクレンペラーは、マーラーの推薦状を得て
プラハのドイツ歌劇場の指揮者に就任、キャリア形成の大きなきっかけとなり、
クレンペラーはマーラーに終生、大きな恩義を感じ続けた。

「マーラーは就職を世話してくれた」 (by クレンペラー)