モーツァルトという人はある到達点に達すると、その書法を継続または先へ進めることを
しなかった人だね。
例えば弦楽四重奏曲なんかにしても、ハイドンセットで最高の到達点を得たわけだが、
その後の四重奏曲は作曲技法という観点から見れば、明らかに後退しているように思える。
ピアノ協奏曲の22〜24番とその後についても同じパターンだと思う。
ただそれは、これでもかと言うくらい高度な目の詰まった書法で進める音楽が彼の目標では
なかったことの表れじゃないかな?
最後2年くらいの澄み切った表情を持つ作品はそういうことの表れなのかもしれませんね。