自分は材料不足のところから自分の日記を種にしてみたい。自分は二十九年の
秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた。
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九月七日――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降りみ降らずみ、
日光雲間をもるるとき林影一時に煌(きら)めく、――」
これが今の武蔵野の秋の初めである。林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様が
夏とまったく変わってきて雨雲(あまぐも)の南風につれて武蔵野の空低くしきりに
雨を送るその晴間には日の光水気(すいき)を帯びてかなたの林に落ちこなたの杜(もり)
にかがやく。自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することができたらいかに
美しいことだろうかと。二日置いて九日の日記にも「風強く秋声野(や)にみつ、
浮雲変幻(ふうんへんげん)たり」とある。ちょうどこのころはこんな天気が続いて大空
と野との景色が間断なく変化して日の光は夏らしく雲の色風の音は秋らしくきわめて趣味
深く自分は感じた。
(国木田独歩 「武蔵野」より)