天賦の才というものが、モーツァルトにはどんな重荷であったかを明示している。才能があるおかげで仕事が楽なのは凡才に限るのである。16歳で、すでに、創作方法上の意識の限界に達したとは一体どういうことか。

(中略)

 天才とは努力し得る才だ、というゲーテの有名な言葉は、ほとんど理解されていない。努力は凡才でもするからである。しかし、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才はむしろ努力を発明する。
凡才が容易と見るところに、何故、天才は難問を見るということがしばしば起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易なことを嫌うからだということになろう。自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ。
制約も障碍もないところで、精神はどうしてその力を試す機会を掴むか。どこにも困難がなければ、当然進んで困難を発明する必要を覚えるだろう。それが凡才には適わぬ。
抵抗物のないところに創造という行為はない。これが、芸術における形式の必然性の意味でもある。