敏感に受け取り「過ぎ」かどうかは、誰にも判断出来ないんじゃないかな?
誰が演奏に迎合してるんですか?別に、誰もそんなことはしていないでしょう。


ポイントになる点は、演奏している人があそこまで上手くなるのに、
どれほどの努力の積み重ねと苦労があったか、毎回の演奏にどれほど大きなエネルギーと、繊細な配慮がなされているか、
君の想像力が思い及ぶかどうか、なんじゃないの?

毎回、定期演奏会には送料無料の御意見ハガキも最後のページに付いているし、
世の中に何かアピールしたいのであれば、自分のblogを立ち上げて、自分の責任でやればいいじゃないか。

ここは管理人がいないし、大変有名な場所となっていて、もはや大きな公共性を帯びている。

批判の内容は完全に個人の好みの問題で、きちんとした学術的な根拠はまずない。
気分に左右された、感情的なものがほとんどだ。

君はそんなただの悪口のようなものを、管理人不在の、この目立つ場所に書きたいんですか?

それならまったく同様に、大きな反動が自分にも返ってくることを、
その都度、覚悟して書き込まないと。

見えない苦労に思いの及ぶ人は、根拠が不十分な批判や、言っても仕方のない、
済んでしまった演奏のことをわざわざとやかく言ったりはしないでしょう。

ただ、黙って去る。
これは、演奏どころか人間としてもレベルが低いと思ったら、
もはや応援はしない。お金を払わない。
それで十分なんじゃないかな。わざわざ罵声を浴びせる必要はないでしょう。

京響は精一杯の努力をされていて、本番前に大変きつい通し練習を、時には何回もしているそうです。

見えない部分に思いを馳せて、いろいろ総合的に考えてみて欲しいと願っています。