内田さんが日本にいたのはお茶の水女子大付属小学校の6年2学期まで。
3学期は渡欧してしまって全然出ていないので
ご本人は「日本の学歴は小学校中退」と笑っていますが
実は成績優秀だったので学校側は卒業扱いにしてくれたと本人が語ってますね。
「おかしな子供」というのは今風に言えば個性的な子供ということでしょうか。
「子供時代はうじうじと本ばかり読んでいた」そうですが50年前の日本ではそれがおかしな子供とみられたのでしょうか。
当時の自宅は目白台、講談社は徒歩圏内で、読みたい本を直接買いに行ける環境だったそうでお母様がしょっちゅう足を運んでいたとか。
ご両親は彼女のその個性を潰すことなく、育てられたということなのでしょう。
とにかく頭の良い子で恩師の松岡貞子先生とは音楽について対等に語り合ったそうですから
早熟な子供だったことは間違いなさそうです。
ただ、当時の日本では同じ桐朋音楽教室出身の中村紘子さんが
天才少女として名を馳せていたころですよね。
内田さんが表に出なかったのは何故だろうと思うのですよね。