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>音楽と文学/科学と哲学

やっと肝心なテーマに近づいてきましたね。
以前から申してますが、私は音楽であれ文学(小林秀雄の批評はそれ自体文学です)であれ、その作品に対するライナーノートや評論書の類は読みません。作品自体とだけ向き合います。

自然現象は言語化できない。「音を語るものは音しかない」という持論から演繹可能ですね、了解です。

で、ベートーヴェンです。前レスで「美が真(まこと)らしいものに取って代わった」と小林秀雄氏の言葉を引用いたしました。

この「真らしいもの」が、ショパンやワグナーの詩情や情念とは無縁の、「自然現象を表す数式に近いものである」ということなら話はまた別の事になります。

以前こうも書きました。「モーツァルトという完璧な音楽から脱却するにはベートーヴェンという大手腕を必要とした。が、その事が彼をどんな孤独へと追いやったか。
彼は自分の蒔いた種は自分で刈り取った(ハンマークラヴィーア/作品131)が、その種はすでに音楽という荒野にばらまかれていたようである。シューマンの自殺未遂もその事と無関係ではあるまい」と。

アインシュタインがした事と、分野こそ違え100年ほど前にベートーヴェンがした事が、私には不思議と重なる。