カルショーがベームをまったく評価してなかったんだから
デッカが独占契約だかをしてた時代にウィーンフィルと録音てのは
ありえない話。

ケルテスとかイッセルシュテットとの録音が典型だけど
あの時代のウィーンは自分らの十八番のレパートリーのときは
指揮者にほとんど主導権にぎらせずに、自分たちのテンポで自分たちの音楽を弾くだけだから
60年代に仮に録音の機会があっても、途中でケンカ別れに終わったか
70年代と大差ないゆるーい演奏に終始した可能性が高いね。