モツオタの全員ではないが、その中の一部の人は思い込み激しいからね。
ヴァイオリンの巨匠ティボーは、協奏曲第6番(今日では偽作扱い)を
モーツァルトの真作と信じて愛奏していたし、有名な子守歌は、その真の作曲者
である18世紀末の素人作曲家の楽譜が発見される最近まで、
モーツァルト作であることが疑われなかった。父親が書いた交響曲を
拙速にも息子ヴォルフガングの作と断定して醜態を晒した研究者もいる。

もし仮に、モーツァルトが他人とは決定的に異なる何かを持つ特別な作曲家、
他の誰もその域に達しえない特殊な才能に溢れた作曲家であるとするならば、
なぜ、このような不思議な事が起きるのだろうか。
子守歌に至っては、無名の素人作曲家の作品なのだ。
ベートーヴェン、ショパン、シューマン等々の他の作曲家では、
作品の混同・取り違いがまず殆どないことにも注視する必要があるだろう。
また、モーツァルトに作風が酷似する他人の作品が、時間的に先行して数多く作曲
されているのは何故だろうか。

したり顔で「モーツァルトらしさ」を口にし、
「他の誰にも書けない」などと嘯くモツオタもいるが
そんな彼らは、新発見の曲を聴いて、それがモーツァルト作かどうか、
自力で鑑定できる能力があるのだろうか。
単に口先だけで、その実、評論家やマスゴミが創り上げた偽りのブランドに依存することで
己の脆弱なアイデンティティを保とうとする浅はかな小者に過ぎないのか。
実験してみると大変面白いと思う。