>168.169
去ったのは別の理由です。
「無理なんだな」って思っただけなんです。

ホロヴィッツの月光・1楽章/CDでは「右手0:33〜34秒の二分音符」を「ふっ」と息を抜き「p」で弾くでしょ、理由、説明できます?
はっきりしてるのは分析や論理から出てきた結果ではない、と言うことです。
楽譜にはpの指示はないですし。
私には解る、私もそうしたいからです。なぜそうしたいか?それは私の「心」がその音を求めているからです。
なぜ求めるのか?これは、「私の美意識がそうさせる」としか言い様がありません。
ピリスのショパン・ノクターン20番でも中間部の最終音は「消え入りそうなp」です。アシュケナージも、アラウも、フジコ・ヘミングも、そのデリカシィーがありません。
あそこは「p」でなければいけない。私の美意識がそれを求める。

「p」ではありませんが、トスカニーニのモーツァルト/シンフォニー39番・1楽章の第一音、ジュピター終楽章、カザルスの40番、シューリヒトのプラハ、理由は異なりますが、あの演奏でなければならない。
39番・2楽章は(食わず嫌いだった)アーノンクールが一番心に染みます。

挙げれば切りがありません。
そして楽譜や楽理ではなく「心」に行き着く。いつかも述べたように、「初めから無いものは、どう分析しようが出てこない」からです。
具体的な曲、演奏を挙げるのは控えますが、この人はモーツァルトが解っているのか?と思えるCDも数多あらます。専門家ですから楽譜との対話、分析、その結果の実演であり、録音でしょう。
それが吹飯ものなんですね。

これ以上続けた所で、決して交わらぬレールを感じ、止めにしました。

明日から仕事モードに、も理由のひとつです。