一般的に人気があると思われるロマン派のレパートリーがギターには少ない。
バロックの頃は今のギターとはずいぶん違うし、ルネサンスは一般の愛好家からみたらややマニアックなのだろう。
古典派にはソルやジュリアーニらがいるが、モーツァルトやベートーヴェンはギター曲を作曲しなかった。
今のモダンなナイロンギターそのものの歴史は、弦・管楽器に比べ、浅い。
実はピアノも浅い方なのだが、ピアノはロマン派の時代に大量に傑作が作られていく。

そこでセゴビアの尽力がはじまる。
しかし、彼が活動した時代は、めまぐるしく作曲語法や音楽美学が変遷する時代だった。
一般の音楽愛好家からしてみれば調性の崩壊はどうしてもとっつきにくい印象があろう。
セゴビアは前衛音楽を嫌っていた。
彼が愛したポンセやテデスコは、西洋音楽史全般の中では地味な存在と解釈されがちかもしれない。
もちろん、これは決して彼らの価値を評しているわけではないけれど。

セゴビアの尽力は後輩たちに受け継がれる。
ブリテン、マルタン、ウォルトン、ヴィラ=ロボス、フランセ、ヘンツェ、ブーレーズ、武満、ファーニホウなどが
ギターソロやギターを含むアンサンブルやギター協奏曲を作曲している。
ファリャなども含め、彼らは間違いなく現代の巨匠だ。
ギターは着実に発展してきたし、事実、発展してきた。ナイロンギターではないが、ロックバンドの花形は今でもやはりギターなのであろう。
そこは数の論理から言ったらクラシック全体でも太刀打ちできない世界だ。