K383は、たとえもしアロイジアのために作曲されたのだとしても、
歌詞の内容や歌われる場面が異なったために、技巧的でない作品になった、
という考えではだめなのでしょうか。おそらくこの作品は、コンサートの
終わり近くになって、スポンサーか誰かに対する感謝の意を表するために
歌われたのですよね。だとしたら、おとなしい曲調になるのはうなずけると
思いますが。