同じ方かと思います。アニー・フィシャー、ルフェビュールの作品109をご推薦くださった方と(間違っていたら済みません)。「芸術がただ清らかで美しいものだとは限らない」とレスなさったのも貴方では?
違うんですよ。私はもっとずっと先に行ってます。おそらくピカソのゲルニカやゴヤの巨人、文学ならドスト氏の「白痴」等を差してのことかと思います。
それは偉い人達ですよ、彼らは。しかし、あくまでも「小我」です。
「自我が強くなければ個性はでない、個性の働きを持たねば芸術品はつくれない」、と考えて色々やっていることは、いまの日本も世界も同じです。いい絵がかけなくなっている原因の一つでしょう。
絵描きは自分を主張して、物を描くことをしないから、面白い絵ほどくたびれるという傾向がある。そういう絵描きは自分のノイローゼを書いているに等しい。物が人をくたびれさせるはずがない。
ベートーヴェンの場合は「小我が純化され普遍性を得た(後期ピアノソナタ、後期弦楽四重奏曲)」と考えてよろしい。それが「ベートーヴェンですら小我の域を出ていない」の意味である。そしてワグナーは決してベートーヴェンを超えることはない。
楽劇は管弦楽ではベートーヴェンを超えられないと悟ったワグナーのノイローゼが生み出した「小我の大博覧会」である。

いまトリスタン聴いてますが、モーツァルトならワンフレーズで済むことを延々とやってますね。