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おはようございます(もう昼時ですが)。お前は「原則という言葉の意味」を知らんのか?と言いたいのですね。当てはまらないのは「100に1つ位」が常識だと。
一応承知はしております。「書物を引用しての我田引水」「自慢話中心の一人語り」はやめよ。したいならせめてこの隔離スレッドでせよ、と。そう受け取りました。

そう確かに「無明なる状態にある小我から出てくるものは醜い」ものばかりである。芸術作品とてこれは例外ではない。
キリストは「人の子は罪の子である」と申してます。恐らく同じことを言っているのです。

一人語りになるのは、私には「思惟と説得とはまったく別の心の動きである」という前提があるからかと思います。
ではなぜここに居るかと言えば、「対話」(お相手はアニー・フィッシャーのベートーヴェンを推薦して下さった方をはじめ、少数の方ですが)の力を信じているからです。

この対話は「どう転んだところで女性にベートーヴェンの作品109は弾けまい」の私の発言に端を発してます。イヴォンヌ・ルフェビュールのほうは目下注文中ですが(輸入盤のため時間が少しかかるとのこと)、じっくりと聴いて、判断するつもりです。
「バックハウスこそ作品109」の思いを再度確認するためにギレリスはじめ他の男性ピアニストもこの際聴いております。「アシュケナージ(作品109に限れば一般的には名盤の一つかと)になくてバックハウスにあるもの」

20代の頃の自分の直観力を検証する行為とでも。

しかし、モーツァルトと違って、「感性のままに」というわけにはゆかず、やや時間がかかりそうです。